高橋れい子作品展 ―  木彫から光と音へ

「 顔 . 心 . 魂 」  36年の旅   

2013年7月13日(土)~8月4日(日)  会場:古民家ギャラリーかぐや


 かぐやFacebook  にも作品の紹介をしていただいていますのでご覧ください。 


個展の案内状に寄せた文章です。なぜ彫刻を始めたかの経緯を書いています。

 

「ひとつの眼」

私が初めて人の顔を木に彫ったのは、老いて痴呆症になり、寝たきりに移行していく中での祖母の顔でした。私は会社のバスケットボールチームに所属していましたが、繰り返した足のけがにより会社を辞め、たまたま無職だった私が介護をすることになりました。まだ痴呆症という言葉も、社会支援もない時代で、何も知らない22才の娘にとっては、ただ手探りで理屈の通用しない相手と格闘するしかありませんでした。そんな毎日が続いたある日、茶の間に座って一緒にお茶を飲んでほっとした時、庭中の緑の中に三本のアヤメと赤い花が一本咲いているのが目に入りました。ああきれいだなあと思ったのとまったく同時に、祖母は「あの花を切ってお如来さん(仏壇)にあげてくれ」と言いました。惚けてはいても、同じ時に同じ花を思う心…。そんなささやかなできごとではありましたが、何も思い通りにならない日々の中で、思いがけず私たちに訪れた静かな、花のあかりが心にともった時間でした。

 そのころから、闘いだった介護は穏やかなものに変わっていきました。祖母は白内障のために片眼が大きくゆがみしわだらけで、若い私の目にはもはや醜い人になっていました。でもそのゆがんだ顔の中に開いている残されたひとつの眼が、つぶらな、深い湖のような、遙かなものを見るような輝きをもって私の目に映りました。それは情熱を傾けてきたこと(バスケットボール)に痛みをともなって挫折した後の、私の心の虚ろにしみ入り、それからの人生を大きく変えることになりました。

 関東大震災、祖父の病死、戦争という苦難をこえてきた祖母の人生にはくらべようもない、自業自得の傷心の孫に、彼女の魂は何を伝え継いでくれようとしたのか。生の終わりにその無垢なひとつの眼は何を見ていたのか、その瞳に宿っていたものは何なのか。22才のその時から58才の現在までの、様々な場所で人と出会い、互いの心の闇と光に触れ、あがきながら学び、多様な表現方法で人の姿を写し続けてきた長い旅は、その問いの答えを探そうとするものだったのかもしれないと、今になって思います。 

 16年ぶりの個展のお話をいただいたギャラリー「かぐや」の、人の営みを見守り続けてきた古い民家の空間の中で、ごいっしょに思いを巡らせていただけたら幸いです。                   

ダウンロード
2013個展案内状.pdf
PDFファイル 3.4 MB


◆古民家ぎゃらりー「かぐや」での展示の一部です。(彫刻、詩、曲)

どうぞご覧下さい。               

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「月の鏡」

素焼き+大理石粉  


「月の鏡」 石膏 


「花びらゆりかご」

「花びらゆりかご」 樟  高10cm 、  「光の道」 ガラスビーズ+水晶

aquamusie 撮影。2015. 山猫軒

歌:菅井千春. 手回しオルゴール:松本孝夫. 詞・曲:高橋れい子  


「きつねざくらの咲く丘」 和紙張り子 1998年  

「きつねざくらの咲く丘」 和紙張り子 1998年  

「背中に咲く花」 木曾桧 高10cm 2013年



「風の塔」   高35cm 

「バランスピエロ」  高25cm 

「水の国」  高15cm 



 「森の食卓 」 

「森の食卓」(蔦) 長さ3m

 

 「森の食卓」は、1993年に生越町黒山の山奥で古い民家を借りて住んでいた時に製作しました。近所に植林から伐採までの林業を営んでいる家族がいて、年配のお父さんと息子さん3人が助け合いながら仕事をしていました。山に生まれ育ち、山や木を心からいとおしく思っていることが伝わってくる人たちでした。
ある日、その材木置き場のはしに長さ約8m、幅40~70cmほどの、枝がからまった見たこともないような不思議な木が置かれていました。聞いてみると、直径1m近くある大きな欅の木の伐採の仕事の依頼があった際に、その欅にからまって成長した蔦なのだということでした。じゃまなので短く切って欅からはずそうと、チェーンソーで切りかけましたが、こんなに大きくなった蔦はあまりめずらしいからと、切断するのはやめて、全体を欅からはがしたそうです。びっちりと欅に張り付いていた蔦をきれいにはがすのは大変だっただろうと思います。

伐採前の欅と蔦(欅の左側の方から斜めに巻き付いています。)
伐採前の欅と蔦(欅の左側の方から斜めに巻き付いています。)

 蔦といえば、ひょろひょろの細いものだと思っていましたが、この木の圧倒的な生命力に心ひかれ、このまま雨ざらしで置かれていたら腐っていってしまうと思い、彫刻として使わせてもらうことにし、分けてもらいました。
 枝分かれしてはつながり、また枝分かれしてはつながっていくこの木の表面をすべて鑿で彫り、足を作ってテーブルにし、円錐形の器を陶器として焼きました。そして日本酒か水を満たした器を置いて完成する「森の食卓」という作品が生まれました。もとの長さのまま、作品展に出品したのは一度だけで、移動と保管が困難なために、現在のこの作品は約3mになっています。

 私は四十年ほど前に木彫の仕事を始め、主には肖像や人形など、たくさんの人の形を作ってきました。この「森の食卓」は、私の作品の中では特殊なもので、テーブルとして製作してはいますが、一本の木の生を表現した肖像といってもいいのかもしれません。


 「時の船」 肉桂(ニッキ) 長さ2m   1992年


「糞掃衣」

「糞掃衣」  墨 

糞掃衣(ふんぞうえ)とは、糞やちりのように捨てられたぼろ布を洗い,つないで作った僧の衣のことです。


「刹那に賭ける夢」こぶしの木 高1m 

「深い森 - モリーン」石膏+土と煤 高60cm 

「深い森」テラコッタ 高23cm



 

「裸木の背をもつ鏡」

      桂、鏡 1993年

( メアリー・シェリーが書いた小説の「フランケンシュタイン」は、本来、怪物を生み出した博士の名前だそうですが、一般的に怪物自体の名として認知されるようになってしまったようで、ここでも怪物の名前になっています。)

 


「竹藪に棲む」  クルミの木 高25cm 1984年



 

「ひとしずくの夢」〈オルゴールと歌のコンサート〉

個展期間中の2013.7.21に演奏した曲を紹介しています。

 

演目

♪ オリジナル歌曲 :   作/高橋れい子、松永友和、本尾亮


♪ 月の沙漠、アメイジンググレイス、アヴェ・マリア等…


 

★ブログ 「時の魂」-ホームページを開いた経緯とブログの始まり (2014.12.4)にもこの個展の経緯を書いていますので、お読みいただけたら幸いです。