これは何でしょう? ― 善光寺さんで足下に注目してみました

これは何でしょう? その①


これは何でしょう? その②

柱が斜めにずれています。これは何でしょう? その③ 

朽ちた柱、長さの違う柱が並んでいます。これは何でしょう? その④

変わった樹です。これは何でしょう? その⑤


 

 

これは何でしょう? その⑥ 


 

 

これは何でしょう? その⑦ 





 

 先日、善光寺さんに行ってきました。私の実家は長野市にあるので、いつも寄ってお参りしていきます。善光寺の裏に私が行っていた高校があり、毎日境内を通りぬけて通学したり、りんごの木を彫った人形やアクセサリーを仲店通りの一角で実演販売していたこともあります。ここを訪れる様々な人を見たりお話したりしてきましたので、このお寺には特別な親しみがあります。今年は7年に一度のご開帳なので大変なにぎわいです。

 善光寺には国宝に指定されている本堂の他にも山門、仁王門、経蔵などたくさんの建物があります。そして善光寺さんにつながる門前町には、宿坊や老舗の店舗だけでなく、若い人たちが古い建物を工夫をこらしてリノベーションしたカフェやギャラリー、オフィスなどがどんどん増えています。そんなお店を紹介している「古き良き未来地図」という小冊子を見ながら入ってみるのも楽しみのひとつになっています。

 

 この度の善光寺参りでは、足下(あしもと)に注目してみました。

これは何でしょう?

 

◆その①は、「本堂の床板」です。

 創建は約千四百年前ですが現在の本堂は江戸時代に再建された建物だそうです。いにしえの時代より全国各地から世界各地から老若男女が参拝に、観光にやってきて歩いた跡です。大きな節がある材を使っているので、固い節が残り、柔らかい部分がすり減って、横から見ると波打っているように見えます。

 善光寺には「おびんずるさん」と呼ばれて親しまれている、お釈迦様の弟子の座像があります。病気をなおす力があると言われていて、参拝客の多くの人がこの像をなでていくので、顔も体もすり減ってつるつるになっています。本堂の床も、おびんずるさんのように長い長い時間の中で形が作られてきた木の彫刻だと思います。

 


その②は山門の西側にある「仏足跡」です。

 お釈迦さまの足裏を石に刻んだものと伝えられ、足裏の図は千輪宝、金剛杵、双魚紋などで、仏像作られる前は法輪や仏足跡が崇拝の対象だったそうです。お釈迦さまが裸足で歩いたであろう長い道を想い起こさせます。この石がここにあることはあまり知られていませんが、山門のすぐ近くなのでぜひお参りに行ってもらいたいと思う所です。

  石をなでていく人が多いのか、模様が黒光りしています。



 

その③は、「ねじれて礎石からずれた欅の柱」です。

 1847年に起こった善光寺平を震源とした大地震の際にずれたのだと私はずっと聞いてきましたが、柱に斜めのひびが大きく入っているので、もともとの木の繊維のねじれによって柱の根元もねじれたとも言われているようです。

 

 いつも行っている場所でも、違う視点を持つと新しい発見があります。祈りの心は様々な形を通して現れるものなのだと思いました。(以上2015.5.5記)  

 


その④は「歴代の回向柱」です(2016.2.15記)  


 回向柱(えこうばしら)は、ご開帳期間中に本堂前に立てられる高さ約10m、巾1.5尺(45cm)角の柱です。その上部から出ているひもは「善の綱」と呼ばれ、前立本尊の手と結ばれていて、回向柱に触ることは前立本尊に触るのと同じ御利益があるといわれているそうです。回向柱に触ろうとする人たちが列になって並んでいる時もありました。

 ご開帳期間が終わった後の回向柱は善光寺の境内西にある一角に置かれ、そこには歴代の回向柱が並べられています。上部と、足下の地面に接して腐食していく部分を切って立てているのでしょうか。 

 

 松代藩三代藩主真田幸道が火災で焼失した本堂を再建した縁で、この大きな杉の柱は、300年ほど前から長野市松代町の人たちの浄財と労力で寄進されているのだそうです。多くの人の祈りがこめられている柱は、役目を終えてからも自然の中に大事に大事にされています。なかなかとれない貴重な大径木を外に置いて朽ちさせるくらいなら、何かの材料として使えばいいのに、という考えもあるとは思いますが、大自然と一体に帰していこうとするこういう残し方を見ていると、私は仏教徒ではありませんが、古くから「一生に一度は善光寺参り」と言われてきた訳もわかるような気がしてきます。私も小さいころから何度もお参りに来ていながら、ここの存在はまったく知りませんでした。  

 


 

その⑤は、この樹にまつわる不思議な逆さ木のお話。(2017.1.16 記) 

 今から約四十年前、鳩になって飛んでいったおばさんから聞いた、根も葉もない、でも印象に残って忘れることのできないお話があります。何の根拠もないことなので、ここに書いていいものかどうか迷っていましたが、どこにも向けようのない人々の心と時代の表れとして生まれた話なのならば、それもひとつの救いなのではないかとも思いますので、それをこれから書いていきたいと思います。 

 その時、私は二十代前半、木彫を始めて2年目ほどのころで、善光寺の仲見世通りにある知り合いの店の前を借りて、りんごの木(剪定して要らなくなった枝)を彫った人形やアクセサリーを実演販売していました。

 全国でも有数の観光地である善光寺で、ちょうどその年は7年に一度の御開帳の年でもあり、材料がりんごの木ということもあって、店を広げて彫り始めると、すぐに黒山の人だかりになるほどの人気でした。一週間、家で彫って、日曜日に売りに行くというスタイルでした。

 その日もよく売れてホクホク気分の私が彫っていると、一人のおばさんが近寄ってきて、私が作ったものを見て言いました。

「これはおもちゃだ。」

 不思議に可愛げのあるそのおばさんは近くに住む絵描きさんなのだそうで、

「こういうのを作ってんじゃあな…」

と話し始めました。今覚えている限りをほぼそのままここに書くとすると、こういう内容でした。

 

 「あそこに荒々しい変わった樹があるだろう。あの樹にはこういう言われがあるんだ。関東大震災の時に流言飛語によって大勢の朝鮮人が殺された。それを怒った朝鮮人が、あの大きな樹をみんなで引っこ抜いて、それを逆さにして地面に刺して、それに根が生えた逆さ木なんだ。物を作って生きていく気なら、社会の見えないところにある、こういう心の部分を見て表現していかなきゃだめなんだよ。」

 そう言っておばさんは、両手をパァーッと大きく広げ、善光寺にたくさんいる鳩のように翼を羽ばたかせ、たくさんの参拝客が歩く石畳の参道を蛇行しながらとんでいってしまいました。

 あっけにとられながらも、おばさんが指差した方向にあるその樹をみると、確かに上の方は葉っぱがなく枯れたようになっていて、地下にあるはずの根っこが上に行ったと言われてもおかしくはないような風情をしています。でも、あり得ない話を話すからには、それを考えついた人がいるわけですが、そのおばさんの作り話なのか、誰かから聞いた話なのかはまったくわかりません。ただその時に私が感じたのは、今こうして商売させてもらっているこのお寺は、ただの観光地じゃないんだなということでした。

 祈りの形には、明るい未来を望む祈り、先祖への感謝の祈り、様々なものがありますが、社会の足下にあるどうにもおさえることのできない、やり場のない心をこういう言い伝えの形で鎮めようとするのも、それも人の祈りなのではないかと思います。 

 

 たった数分間、立ち話しただけのこのできごとは、それまで認知症の祖母を介護していた経験と共に、表面的には忘れていても自分でも知らず知らずのうちに、それからの私が生きる方向を大きく変えていきました。その十数年後に、不思議な縁の連鎖によって山谷労働者福祉会館建設の過程に関わり、建築の世界では最も足下にいるとされている、野宿の日雇い労働者に会って、彼らの顔を鬼瓦として作らせてもらうようになっていったのも、あの日、鳩になってとんでいったおばさんに遭遇したことが影響していたと思います。 

 

   おばさんに会った日から5.6年して、徐々にかわいいりんごの木の人形からは離れて、リアルな人の顔を作るようになり、人の心の闇を表現するようになっていきました。これまでの歩み

 長い変遷があり、もう一度りんごの木の人形に戻ってきたのは、2015年に沖縄に住む88才の女性から一通の手紙をいただいてからのことです。その後その女性からは娘さんやお孫さんにとたくさんのご注文をいただきお送りしました。 

 

 一年半ほど前に善光寺のすり減った床板に目がとまり、「これはなんでしょう?」を書き始めました。こうやって書き足してくると、なぜあの時、足下が気になったのかがわかってきます。

 人は日々、日常生活を送ってはいても、それぞれの経験の中から生まれてきた、考え行動する上での基準を持っていると思います。自分が現在いる場所が基準なのか、成功の高みを基準として努力していくのか、自分自身の最も低く弱い時や、今も苦しみ闘い続けているものたちの場所を基準とするのか…、その時その時、生きる上での道を探しながら生きています。その迷いの道の中に、閃く光をどう見いだしていけるのか、これからも自らに問いかけながら、ものを作り続けていくのだろうと思います。

    

 


その⑥は仁王門の「仁王像」の足です

細部にまで迫力に満ちたこの像は、高村光雲と米原雲海によって作られたそうです。

仁王門の前にはたくさんの草鞋がかけられています。

(以下2017.10.20記)  

 

 


その⑦は長野駅前にある「如是姫」の足です

如是姫は、善光寺縁起に関わるインドのお姫様です。花をかかげ、善光寺の方角を向いて感謝の祈りを捧げています。

 

 力強く覇気に満ちた仁王様の足と、如是姫の無垢な赤子のように柔らかい足。参拝する多くの人の足。支え合いながら在り続けているお寺なのだと思いました。